キヨノの相棒川村明子の日常


by ak008

秋田で感じたこと

先週は秋田に出張でした。
地震の時、多分秋田県横手市から湯沢市のあたりを車で移動中で
交差点での信号待ちでした。
冗談かと思うほど車は左右に揺れ、直後に信号が停電で消えました。
ラジオをつけると地震速報、津波情報が流れました。
最初は、意味がわからなかった。
よく覚えていないけれど、多分その時ラジオは
『○○地域の方は、○時○分に10mの津波がきますから...
高いところに逃げてください、△△地域の方は○時○分に4.5mの津波が...』
というような内容のことを言った気がしたから。(正確じゃないですけど)
10分後の話をしていた気がします。10mって?!
思わず『無理だよ!』と叫びました。ぞっとしました。
宮城県や岩手県の人たち、大丈夫なの?!ずっとそのことが頭を離れなかった。
それから数えきれない余震があり、
ワンセグで映像を見て愕然としました。
東京や水戸も地震が大きかったことも知りました。
カフェエイト、ピュアカフェとも連絡がとれました。
結局帰りの飛行機が飛ばないことを知り、
秋田で難民となりました。

普段バーコード管理されているコンビニは電気が使えないことで
若干パニックになっていました。
値段がわからず、店員さんがひとつひとつ売り場に値段を調べに行き、
あっという間にレジには長蛇の列といった感じ。
夜は寒く、泊まるところを求めて駅へ。
願いは叶わず、配給の毛布をもらいました。(結局県庁の方のところにお世話になりましたが)
水が出ないのでトイレは流せず。鍋にお風呂の残り湯をくんで
トイレの水を流しました。
水戸の(実家の)両親とも1度メールで話せたものの連絡がつかず、
不安がよぎりましたが
結局3日目の日曜の早朝、水戸の母さんと話ができたました。
無事でした。良かった。
日本海側から山形、新潟に入り関越自動車道から車を乗り継いで
(東京から迎えにきてもらって)やっと都内に戻りました。
色々な方々に、感謝の言葉以外はありません。
ありがとうございました。

宮城や岩手の被災者の方々からすると全然、何でもない話です。
地震、津波に加え、原発の不安のある福島や茨城の方々からすれば、
何でもない話です。

今回の経験を必ず何かの形で生かします。

思いやりと希望に満ちた日本にしたいです。
自分の価値観を信じて、
私は私の出来ることをまず自分のまわりの事から
1つ1つやっていくつもりです。
by ak008 | 2011-03-14 23:29